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浦和地方裁判所 平成6年(行ウ)7号 判決

原告

金子實

右訴訟代理人弁護士

尾高忠雄

被告

川越市長 舟橋功一

右訴訟代理人弁護士

宇津木浩

右指定代理人

宮村要

吉野進

近藤正広

事実及び理由

第三 争点に対する判断

一  現公図には本件対象地が九七番二の土地の一部としてこれに含まれる形状で記載されているが、現公図は昭和六三年一二月二九日に旧公図を再製したものであることは、前記のとおりである。

二  そこで、次に旧公図の記載について検討する。

1  〔証拠略〕によれば、旧公図は、平成七年九月一四日の時点において、九十七ロ号と記載がある東側の幅約一ミリメートル、長さ五一ミリメートルのほぼ長方形部分が欠損していること、すなわち、旧公図は本件対象地に相応する部分の用紙が欠損しており、右部分が九八番から分筆された土地の東南部に含まれる形状で記載されていたのか、それとも九七番の東側に含まれれる形状で記載されていたのかをにわかに判別することができない状態であることが認められる。

2  しかし、右欠損部分付近をさらに子細に検討すると、〔証拠略〕によれば、旧公図の欠損部分の東側には、ほぼ南北に約五一ミリメートルの線が書かれており、この線は、図面の一番左側(東側)に引かれている線であり、右部分からさらに図面の下端(北方)まで延びており、他の土地の外縁を画する線と同様に若干太く、また色が少し薄いことから、旧公図に記載されている土地の元来の外縁を画する線であり、そして、この外縁の線の西側には、長さ約三八ミリメートルの細い線が外縁の線に平行して書かれ、その上端(南側)は欠損部分にかかって判別困難となっており、また、そのさらに西側には、欠損部分の北側近くの断面にかかる形で長さ約四ミリメートルの直線の一部とみられる線が先の二本の線と平行してほぼ等間隔の位置に書かれていることが認められる。そして、外縁線の西側のこの二本の線は、外縁を画する線とは異なるところから、分筆線であると推認される。

ちなみに、原告は旧公図に認められる右二本の分筆線は改竄によるものと主張するけれども、これらの線は、右欠損部分の幅が約一ミリメートルであることからすれば、いずれも幅〇・二ミリメートルないしはそれ以下のごく細い線であると認められ、また、〔証拠略〕によれば、旧公図の用紙の材質は和紙で、しかも斜めあるいは縦に皺がよっていることが認められ、さらに西側二本目の線は欠損部分にかかる形で記載されているから、これら事実に照らすと、右分筆線の記入が改竄によるものと認めることはできない。また、〔証拠略〕(旧公図写し)は、〔証拠略〕と対照すると、破損部分が湾曲して複写されていることが明らかであって、正確に複写されたものとはいえないから、右〔証拠略〕によって旧公図が改竄されたと認めることはできない。

三  本件対象地付近の土地形状が記載されている図面として、前記のとおり明治九年一〇月作成の地引絵図帳が存在するところ、〔証拠略〕(地引繪図帳)によれば、右地引絵図帳では、別紙図面(三)のとおり、九八番の土地は九十七ロ号(現在の九七番二に相当する。)の土地の東側に通路状の部分があり、これによって公道に面する形状として記載されていることが認められる。

地引絵図は、地租徴収のための資料として明治初期に作成され、その後地図更正を経た後に土地台帳附属地図となったものであるところ、当時の測量技術の未熟さや一筆限図から字限図を作成する手法等から線の長さや面積は必ずしも正確ではないが、各筆の土地のおよその位置関係や境界線のおよその形状については、その特徴を比較的正確に表示していると評されていることは、当裁判所に顕著な事実である。

そして、〔証拠略〕によれば、旧公図から分筆線を除き、かつ前記欠損部分の西側に沿って九七番ロ号の土地の境界線があるものとすれば、九七イ号、九七ロ号及び九八番の各土地の形状並びに右三筆の位置関係は、地引絵図におけるそれとほぼ合致することが認められる。

四  本件対象地の占有・使用状況及び安田図面の作成について

1  前記第一の二3(二)と5(二)の事実、及び〔証拠略〕を合わせると、左記のとおり認められる。

(一)  戸谷の先代は、昭和一九年頃から九八番の土地の北側部分を賃借し、昭和二〇年頃から同所に居住しており、また、当時から、九八番の土地の南半分は、その東側を山﨑、西側を鈴木喜久五郎がそれぞれ賃借し、住居として使用していた。そのころ既に、本件対象地の東側付近に沿って生垣があり、西側付近に沿って木が植えられており、本件対象地は、九八番の土地から公道に出るための唯一の通路として使用されていた。

(二)  その後、戸谷は九八番の土地の所有者であった内川から同土地を売却したい旨の申入れを受けたので、同人や山﨑及び鈴木喜久五郎と協議して、戸谷が一旦九八番の土地全部を買い入れたうえ、山﨑や鈴木喜久五郎にその賃借部分を戸谷から売却することとなった。内川と戸谷との売買契約は昭和三六年二月に締結され、その際両者は、現地の測量はせず、目的土地は使用している現況範囲であって、本件対象地も九八番の土地の一部に含まれ、地積は登記簿上の面積(二〇〇坪)とする旨合意した。

(三)  戸谷は、九八番の土地を買受け後、山﨑及び鈴木喜久五郎と各人の占有範囲を確認したうえ、同人らに譲渡するため、戸谷の占有範囲を九八番一、山﨑の占有範囲を九八番二、鈴木喜久五郎の占有範囲を九八番三として分筆登記を行うこととした。そして、通路部分である本件対象地は鈴木喜久五郎が譲り受ける九八番三に含まれることとし、安田に図面の作成を依頼した。そこで、安田は、通路部分の東側の土地を所有する鈴木信司と当時九七番二の土地を所有していた村田の立会を求め、境界についてその確認を得て、本件対象地を含め山﨑と鈴木喜久五郎が取得する土地の範囲の測量をし、昭和三六年三月一七日に九八番一ないし三の各土地の分筆図等を作成し、戸谷は、同年同月一八日、この図面によって九八番の土地の分筆登記を申請した。右図面においては、本件対象地は九八番三の一部であり、その幅員は〇・六間である。

(四)  しかし、その後、通路部分を鈴木喜久五部の単独所有とすると、他の者の通路部分の通行に問題が生じかねないとの理由で右分筆の仕方に異議が出たので、再協議の結果、通路部分は三人がいずれも所有するという形で分筆し直すこととなった。そこで、戸谷は、再び安田に図面の作成を依頼し、安田は、昭和三六年一〇月二〇日、通路部分を南北に三等分し、その一宛がそれぞれ戸谷、山﨑、鈴木喜久五郎の取得する土地の一部分となる形状で実測図を作成し、戸谷は、同年同月二二日に右(三)のように分筆した三筆の土地を一旦九八番一に合筆したうえ、安田作成の右実測図に基づいて作成した新たな分筆図によって、各自の取得部分はそれぞれ公道に通じる形で三等分した通路部分の一が東側から順に九八番一、同番四及び同番五に加わった形状で分筆し直し、九八番四を山﨑に、同番五の土地を鈴木喜久五郎に売却した。右分筆後の三筆の各登記簿面積は、第一の二3のとおりであり、右分筆図の各面積と同じである。

(五)  なお、戸谷が昭和三六年三月ころ、九八番の土地を分筆するに当たり、鈴木信司に通路部分を少し提供するように促したところ、同人は既に三〇センチメートルほど提供しているのでさらに拡げることはできない旨答え、また、村田は、実際の通路部分は九八番の土地の登記簿面より少し広く、九七番二の土地側に入り込んでいるが、通行することは差し支えないと述べた。

2  ちなみに、〔証拠略〕によれば、原告が平成五年に本件対象地をブロック塀で塞ぎ、その所有権の帰属が争いになったことから、戸谷は、昭和三六年の分筆等の際に作成した土地分筆申告書及び土地合筆申告書の控えが手元になかったので、安田がその取り扱った書類の控えを年度別に綴じて保管していたところから、同人から当時の右各申請書の写し及びこれに添付されていた安田図面を借り受けたこと、すなわち、安田図面は安田が控えとして保管していたものであることが認められるところ、右認定のとおり、安田図面の九八番一、同番四及び同番五の実測図(〔証拠略〕)及び分筆図の面積は、これら土地の各公簿面積と一致し、右実測図は別紙図面(七)のとおり複雑な形状であって、後に公簿上の地積に合わせて図面を作成することは相当困難と解され、また、安田図面は安田が取り扱った書類の控えを年度別に保管していた中に存したものであって、本件全証拠によっても、安田が安田図面を事実に反して作成したり、後に至ってその内容を変更したとか、あるいは右のような作為をする合理的理由があったと認めることはできない。したがって、安田図面が後から事実に反して作成されたものとは認められないから、九八番及びこれに由来するの土地の右のような分筆及び合筆申請書に添付された安田作成の図面の記載内容は、安田図面と同じであったと推認される。

そして、〔証拠略〕を対照すると、旧公図の本件対象地に記入されて残存している分筆線と、安田図面の実測図及び分筆図における本件対象地の分筆線は、矛盾せず、対応するものと認められる。

五1  以上認定の事実によれば、地引絵図では九八番の土地は公道に通ずる通路状の部分を含む形状であり、旧公図から分筆線を除きかつ欠損部分の西側に沿って九七ロ号の土地の境界線があるものとすると、九七イ号、九七ロ号及び九八番の各土地の形状並びに右三筆の位置関係は、地引絵図におけるそれとほぼ合致し、九八番の土地の土地分筆申告書及び土地合筆申告書においても同様に公道に通ずる通路状の部分を含む形状として申請がなされ、同部分も九八番の土地の分筆及び合筆の対象とされており、旧公図の欠損部分には二本の分筆線が記載されていたものと推認され、本件対象地が旧来から明確な形で九八番の土地の公道に通ずる唯一の通路として使用されてきており、また、九七番二の土地は分筆、合筆されていないことを考え合わせると、九八番の土地は、もともと九七番二の土地の東側に公道に通ずる通路状の部分を含む形状であって、旧公図もそのような形状であったものと推認され、その後、右通路状部分は、昭和三六年一〇月二五日に九八番一の土地が九八番一、同番四及び同番五に分筆される際、それぞれの土地に含まれる形状で細い帯状に三等分に分筆されたものと認めることができる。

2  そうすると、現公図では、本件対象地は九七番二に含まれる形状になっているから、現公図の右記載部分は事実に反するものであって、採用することができないというべきである。そこで、現公図が右のような記載になった理由を検討することとする。

(一)  〔証拠略〕によれば、旧公図が記載されている用紙には、窪田図面がホッチキスで添付されているが、右図面は九八番四、同番六ないし九の境界と、九八番五、九八番一〇ないし一二の境界線が赤色で記載され、その余の境界線は黒色で記載されており、〔証拠略〕によれば、右赤線部分に該当する分筆登記は昭和五三年三月八日にされているから、右地形図は、その際に提出されたものであり、右登記に当たって作成されたものと認められる。

(二)  〔証拠略〕によれば、九七番二の土地上にある原告所有の建物の床面積変更及び構造変更登記申請書には、昭和五一年六月一一日に安田が作成した建物図面各階平面図面が添付されているが、右図面においては本件対象地は全て九七番二に含まれる形状で記載されていることが認められる。

(三)  窪田も安田も前記のように土地家屋調査士であること、及び右各図面の記載形状及び作成時期からすると、同人らは、旧公図を確認したうえ、これを基に右各図面を作成したものと推認されるが、これら図面において既に九八番に由来する土地には通路状の公道に通ずる部分が含まれていない記載となっていることからすれば、旧公図に欠損が生じたのは、右の原告所有建物の登記申請がなされた昭和五一年以前であったものと推認される。そこで、これら事実を考慮すると、現公図が作成された昭和六三年一二月二九日当時は、旧公図には既に前認定のとおりの欠損が生じていたが、右の窪田図面が添付されていたことから、旧公図の本件対象地部分の欠損を探究せずに、窪田図面により補充し、誤った形状のままで再製されたものであると推定するのが合理的である。なお、窪田図面及び安田作成の右建物図面各階平面図面の敷地図における本件対象地の形状の記載も、右のとおり旧公図の欠損後に作成されたと推定され、本件全証拠によってもその形状の根拠が明白でないから、右記載部分は採用できない。

六1  原告は、本件対象地部分を含めて村田から所有権の譲渡を受けた旨主張するが、原告が村田から九七番二の土地の譲渡を受けた昭和四二年三月一七日当時、既に本件対象地部分の両側に生垣あるいは木が植えられており、家屋の敷地部分と明確に区分され、通路として使用されていたことは前記のとおりである。したがって、仮に本件対象地が右売買契約の目的に含まれていたとすれば、村田と原告が同部分の代金の定め方や他の者が通行する権利関係等について話し合いを行い、また確認するのが当然であるところ、右のような話し合いや確認がなされ、あるいは原告が村田から本件対象地が九七番二の範囲に含まれる旨の説明を受けたと認めるに足りる証拠はなく、かえって、〔証拠略〕によれば、原告の妻である金子トキは、別件訴訟において、右売買に際し、村田から本件対象地についてその所有関係を含め何らの説明も受けていないと証言していることが認められる。

2  また、仮に、原告が九七番二の土地の所有権を取得した時から本件対象地を自己所有地であると認識していたとすると、〔証拠略〕によって認められる事実、すなわち、原告は平成五年に下水道工事のために市の職員から承諾印を求められたことから初めて本件対象地の所有関係について公図等により確認するなどの行動を起こし、永年本件対象地を他人が通行するのを認めていたにもかかわらず、そのころ突然通路部分をブロック塀を構築してまでして閉鎖するという行動を採ったことは、不合理であるといわなければならない。

3  次に、〔証拠略〕によれば、戸谷の代理人である弁護士は原告に対し、平成五年九月一六日付及び同年九月二一日付で、本件対象地の閉鎖につき抗議するとともに、同土地につき通行権を主張していることが認められるが、〔証拠略〕によれば、戸谷は右代理人に対して本件対象地は自己の所有であると説明したことが認められる。そうすると、旧公図は本件対象地部分が破損しており、現公図には本件対象地が九七番二の土地に含まれる形状で記載されていることから、戸谷の右代理人としては、戸谷の説明にもかかわらず、所有権の主張を控え通行権を主張するために止めたものと解される。

七1  ところで、本件指定処分において、本件対象地は、全長三〇メートル、幅員一・五メートルの範囲として避難用道路と指定されているので、右幅員が以上に認定した九八番一、同番四及び同番五の各土地の細い通路状の部分の幅員と一致するかどうかを検討する。

〔証拠略〕によれば、安田図面においては、右通路部分の幅は、甲第一七号証の分筆図では〇・六間、同号証の実測図では〇・七間、甲第一八号証の合筆図では〇・六間、甲第一九号証の分筆図では各〇・二間幅に三等分されて合計〇・六間、同号証の実測図では九八番二、同番三の通路二本分を合わせて〇・六六間であると記載されていることが認められる。これらの図面は、いずれも安田が昭和三六年三月一七日及び同年一〇月二〇日に作成した原図と内容が異ならないものであることは前記認定のとおりであり、このように同一人が作成し、時期的に近接する分筆及び合筆申告書添付の図面において、しかも、同一の申告書に添付されている実測図と分筆図においても通路部分の幅の数値が異なる理由は詳らかではない。しかし、いずれの申告書においても分筆図、合筆図は、通路部分の公道に面する幅が〇・六間に統一されており、前記のように安田が安田図面の原図を作成するに当たっては、本件対象地の両側の土地の所有者である村田と鈴木信司の立会いを受け、右の者らから境界の確認もえて測量をしたのであり、また、〔証拠略〕によれば、鈴木信司は別件訴訟における本人尋問で、九七番二の土地が畑だった頃は通路部分は一メートル程度であったが、その後広くなった旨供述しているので、これら事実によれば、本件対象地のうち、九八番に由来する土地に含まれる通路状の部分の公道に面する幅は、〇・六間すなわち一〇八センチメートルと認めるのが相当であり、したがって、右通路状の部分は、別紙図面(六)記載のとおり、東から順に九八番一、同番四及び同番五の三筆の土地の各一部としてそれぞれ〇・二間すなわち三六センチメートルの幅で公道に面する形状で分筆されたものと認められる。

なお、昭和五三年三月八日に、九八番四の土地から同番六ないし九が、九八番五の土地から同番一〇ないし一二が分筆されたこと、及びその際右分筆のために作成された窪田図面中、通路状の部分を含まない部分は採用できないことは前認定のとおりであり、したがって、通路状の部分は、分筆後の九八番の四ないし一二のいずれかの土地に含まれることになる。そして、〔証拠略〕によれば、右分筆後の各土地の形状は別紙図面(八)のとおりであることが認められるから、右形状によれば、通路状部分で分筆前の九八番四及び同番五の土地の一部であったものは、分筆後もそのまま九八番四及び同番五の一部であると認められる。

2  そこで、翻って、本件指定処分において本件対象地の幅員が一・五メートルとされた根拠について検討すると、〔証拠略〕によれば、本件避難道路についての道路位置指定申請書に添付された図面では、九八番二の土地である右道路の幅員は一・五メートルとなっているけれども、右図面によっても、右幅員の根拠は明白ではない。しかも、本件指定処分当時における旧公図の状態は明らかでなく、当時は九八番二という地番で表示される土地は存在しなかったにもかかわらず、このように存在しない地番を表記して戸谷から道路位置指定の申請がなされ、そのまま本件指定処分がされていることからすると、本件指定処分は、右申請書に添付された図面、旧公図や登記簿その他の資料を十分精査することなく、右道路位置指定処分の申請とおりになされたものと推認される。したがって、本件指定処分における避難用道路の幅員は一・五メートルであるけれども、右事実だけから九八番に由来する土地の幅員が一・五メートルであるということはできず、むしろ、右1の事実に照らすと、右道路の幅員は九八番に由来する土地の幅員と一致しないというべきである。

3  そこで、前記のとおり別紙図面B及びFの各点を結んだ直線が砂一九番の土地と本件対象地との境界上にあり、他方、〔証拠略〕によれば、もともとの九八番の土地と九七番二の土地の境界には、これを明示する境界石その他の目標物は存在しないことが認められるから、九八番の土地が従来から幅一〇八センチメートルで公道に面する部分を含み、その後、右部分はそれぞれ東から順に九八番一、同番四及び同番五に含まれる形で、それぞれ〇・二間すなわち三六センチメートルの幅で公道に面する形で三分割されたという前認定からすれば、九七番二の土地と、三分割された際に九七番二の土地と接することとなった九八番五の土地の通路部分の境界は、本件対象地と公道の境界線となる別紙図面(一)B点とC点を結んだ直線上で、B点から一〇八センチメートルの位置にある点をロ点と定め、さらに、このロ点上を通過し、かつ、別紙図面(一)B点とF点を結んだ直線に平行する直線と、本件対象地の北辺である別紙図面(一)F点とG点を結んだ直線との交点をイ点と定め、このイ点とロ点を結んだ直線であると認められる。

4  ちなみに、右認定の本件対象地と九七番二の土地の境界を前提として、〔証拠略〕(現況測量図)を基として九七番二の土地の実測面積を計算すると、概算で三四七平方メートル余りであると認められる。右面積は、同土地の公簿面積の九六パーセント余りであるのに対し、原告が主張するように本件対象地の全てが九七番二の土地に含まれるとすると、その公簿面積に対する割合は一〇五パーセント余りとなり、両者の間に大差はない、そこで、古くからの土地については、公簿面積よりも実測面積のほうが広い、いわゆる縄延びが認められる場合が多いことは当裁判所に顕著な事実であるが、縄延びが常にあるとは限らず、逆に実測面積の方が公簿面積より狭いいわゆる縄縮みがあることもまた当裁判所に顕著な事実であるから、右程度の差であれば、公簿面積と実測面積との比較によっては、本件対象地が九七番二の土地に含まれると認めることはできない。

八  そうすると、本件対象地のうち、別紙図面(一)イロBFイの各点を順次直線で結んだ範囲内の部分は、九八番一、同番四及び同番五の各土地の一部に含まれるものであるが、残余の別紙図面(一)イロCGイの各点を順次直線で結んだ範囲内の部分は、もともと原告所有の九七番二の土地の一部であると認められる。

したがって、別紙図面(一)イロCGイの各点を順次直線で結んだ範囲内の部分は、その所有者である原告の承諾をえずに道路位置指定がなされたものであるから、右部分についての本件指定処分は、その余の点を判断するまでもなく、所有者の承諾を欠くものとして無効であるといわなければならない。

九  よって、原告の本訴請求は、別紙図面(一)イロCGイの各点を順次直線で結んだ範囲内の部分の無効を確認する部分については理由があるからこれを認容し、その余の部分は、原告がその処分の対象となった土地につき所有権を有せず、したがって、本件指定処分につき法律上の利害関係を有しないから、当事者適格を欠く不適法な訴えとして却下することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 小島浩 水上周)

別紙図面(一)

<省略>

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